某マッチングアプリで会った男が最低だった件について
どこにも吐き出す場所がなかったのでここに投下して供養する。
ここ数年、某マッチングアプリを利用しています。利用する頻度はまちまちで登録だけして放置って期間も多い感じ。
そんな中でここ最近マッチングして連絡を取っていた男(もう"男性"なんてちゃんとした言い方はしねぇ)と会うことになり、緊急事態宣言下ということもあり映画に行くことになった。
何を観るかと相談して、(一応やりとりの中では)お互いに興味のあった映画を観ることに。公開してそれほど経ってなかったので昼間の上映を選び、あとはその日を待つだけ。
当たり前だけどマッチングしてすぐに会うのは不安なのでアプリ内からLINEまで約1ヶ月くらいやりとりしてました。ちなみにその中で私の容姿についても話しています。(見た目がいいわけではないので)
そして当日、約束の時間通り待ち合わせをして無事に合流。無難に挨拶をしてすぐに映画館の入っている商業施設まで歩く。世間話をしつつ、それほど遠くなかったのですぐについて施設に入る前には消毒と検温が。その時、男が少し止まったので「先に譲ってくれたのかな?」と思い、混んでいたので他の人の邪魔になってはいけないと思って男の前に並ぶ。
そして消毒をして検温も終わり、振り向いたら、
…………………………いなかった。
最初は「あれ、はぐれた?」と思って、すぐにLINEしましたよ。会ってすぐだったから顔もあまり覚えられてなかったし。
ま、察せられるだろうけど既読すらつきません。電話をかけても繋がりません。電話が繋がらなかった段階で「あー、これは……」とさすがの私も察した。
簡単に言うとばっくれられたってことですよね。
で、その後の私がどうしたかというと1人で映画観ました。だって本当に観たかった映画だし。
エレベーターに乗ってる間に通報してやろうと思って(当日連絡なしでのドタキャンとかも通報できるので)アプリのほうも確認したけど退会してやがりましたよ。ほんと用意周到というかなんというか。
ここまでだと普通にばっくれられただけの話なんだけど、私が腹立ってるのは別のこと。
今回の映画のチケット、先に買ってたんですよね。………私が。
私がチケットを先に買う派なので今回も男に了承を取った上で購入していて、当日にお金を返してもらう予定でした。
まぁそりゃ映画チケットなんて2000円くらいだけど、それを踏み倒されたことが一番腹立つ。
100歩譲って私のことが会ってすぐ嫌いになったとしても、隣で観るわけでもない(緊急事態宣言中なので必ず一席空いてる)んだから映画観てはいさようならでいいだろと思うし、
そもそも面白半分というか、からかう目的とかサクラだったのなら1ヶ月も毎日やりとりして、わざわざ会ってからばっくれるなんてそんなところに労力使うなよと思うし、
まじでばっくれられたことももちろんショックではあるんだけど、相手の男の神経がわからなさすぎて困惑してるってのもある。
これがここ最近、私に起こった出来事。
消え方がプロだったからあれは手慣れてる。あいつ(もう"男"とかって呼ぶのも腹立ってきた)、あのタイミングで私が後ろに並んだらどうするつもりだったんだろうか…。
私の反省点としては、性善説を信じすぎたって事かな。会ったこともない人の常識を信じすぎてた。
アプリの運営に通報するにしても、退会してるから簡単にはできないんだよね。
(退会してても問い合わせとかで通報できる場合はあるらしい。よくわからんが。)
まぁ逆に変なやつとの縁がもっと金額が大きくなる前に切れて良かった(そもそも縁が出来なくて良かったのか?)、と思うことにする。
腹は立つけど2000円は勉強代だったと思うことにしよう。
ちなみに映画はマジで面白かった。大満足。
ここに書いたらちょっと落ち着いたかも。
みんなは赤の他人を信じすぎたらダメだよ。こんな目にあっちゃダメ。
【ネタバレ有り】「劇場版 レヴュースタァライト」を3回見た感想と考察のようなもの
仕事の関係で公開して2週を過ぎた今週、やっと「劇場版 レヴュースタァライト」(以下、「劇場版」)を観ることが出来た。
1回目は衝撃がでかすぎて細かく観ることは出来なかったが、2回目までにいろいろな人の考察ブログやネタバレツイートを読んで「そういうことかー」「え、そんなとこあったっけ!?」と思いながら挑んだ2回目と3回目。やっと自分の中でも感想や解釈がまとまってきたので、書き殴ってみようと思う。
注1:ネタバレ含みます!
注2:あくまで私なりの解釈や感想です!正解ではないですし、読んでもらって「こうじゃないの?」というのがあればコメントください!
感想
他のほとんどの人が言っているように、本当に素晴らしい作品だった。もともと映画館で映画を観るという行為からは遠ざかっていた私だけど、今回は映画館で観て本当に良かったと思う。
好きなレヴュー曲
私がスタァライトを好きな理由として、世界観もだけどレヴュー曲や九九組の曲が本当に大好きで。今回の劇場版もレヴュー曲が本当に良かった。
一番好きなのはやっぱり皆殺しのレヴューの「wi(l)d-screen baroque」(表記違ったらごめんなさい)。中の人は大場なな推しで「ばななしか勝たん」と思ってるので、ソロでレヴュー曲があることに1回目の鑑賞ではしばらく放心状態だった。あの低めの声最高すぎん?やっぱり大場ななしか勝たんのですよ。しばらくはあの「ワイ~ルド~スク~リ~ンバロック」ってメロディーが頭から離れないし地下鉄乗ったら今にも変形するんじゃないかとドキドキすると思う。
他で言うならまひるとひかりのレヴュー曲も好きだったかな。ひかりの上掛けを落としてからのまひるの演技やばいよね…。語彙力がないからやばいしかでてこないけど、今までと違ってまひるがひかりの優位に立ってるっていうのが、まひるが成長して進もうとしている証なのかなぁと思ったりする。
あとは真矢様とクロちゃんのレヴューも最高でしたね。個人的にはact.Ⅳ辺り?で「誇りと奢り」が踏襲されてたのが胸熱だった。真矢様の台詞は全体的に好きすぎる。そして圧倒的な映像美。さすがの2人だった。
好きな台詞
メモ程度に覚えてるだけ好きな台詞書いてく。
・「奈落で見上げろ!私がスターだ!」天堂真矢
(最高すぎん?最高の一言につきる。スターですよ。真矢様はスター)
・「私はいつだって可愛い!」天堂真矢
(これもわかる。真矢様はいつだって可愛いもの。そりゃ自覚もしてるよ)
・「あーあ、泣いちゃった」大場なな
(言い方が超冷たくて最低なんですよ。でもその最低さがいい)
・「舞台で生きてくって決めたから」露崎まひる
「舞台で皆を笑顔にするスターに、なります」露崎まひる
(私の印象ではまひるって他の人を見上げているというか、憧れって印象が強かったんだけど、今回の映画ではそういう印象がなくなって自分がなる、なりたいじゃなくてなるって言い切ってたのがすごく好きだった)
・「やっと、届いた」大場なな
(本当はもっと長いけどあまりはっきり覚えてなかったので最後だけ。あれだけ眩しい、届かないって言ってたばななが届いたって言うって、また後でも書くけど本当に完結なんだなぁ、と。まぁその後に「やっぱり眩しい」って泣いちゃったけど)
・「ここが舞台だ!愛城華恋!」神楽ひかり
(華恋が舞台少女として生まれ変わる時の台詞。予告編の時点で好きだった言葉)
・「私に見惚れろ!全ての角度で!」神楽ひかり
(かっけぇ…)
くらい……、か?とりあえず今のところこれくらいかな。また思い出したりブルーレイが出て買ったら更新するかも。
解釈と考察(のようなもの)
今回の劇場版を語るのであれば前回の再生産総集編(以下、「ロロロ」)を話す必要がある(と思ってる)のだけれど、お恥ずかしながらロロロは最近まで未履修でした。ちょうど公開されてた時期がスタァライト熱が冷めてた頃だったし、「総集編でしょ?」って舐めてたからね。
だけど今回、劇場版を観るってなってやっとこさレンタルして観ましたよ。そして観た後の感想。
「どこが総集編だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
もうリアルに第一声だったね。てことでまずはロロロについて話しましょうか。
「ロンド・ロンド・ロンド」について
他の人の考察でも言ってたけど、これはただの総集編ではなくて「再生産」総集編なんだよね。私としては、あのアニメの「再演」とは時系列が違うのではないかと。そう考えるきっかけだったのは、劇場版での「再演の果てに、私は舞台少女の"死"を見た」(ニュアンス)っていうばななの台詞。ここから、
アニメで再演が終わる→初めてそれ以降の未来を体験する→そこで「舞台少女の死」をばななは目撃する→それを阻止するためなにかしらの方法でもう一度ひかりが転校してきた世界線へと戻って再演する(これがロロロ)→その先が今回の劇場版
なのではないかな、と私は推測した。どうやってまた戻ったのかは不明だけど、まぁやっぱりキリンの力を借りた、もしくはもう一度オーディションが開催されてばなながトップスタァになったか。ばななはひかりや華恋にレヴューで負けてるけど、結局レヴューは想いの強さ、それをどう表現するか、どこまで理解できているかで決まると思ってるので、「舞台少女としての死を回避したい」という強い想いがあればまた勝てるような気がする。まぁわからんが。
他にもロロロではかれひか、真矢クロのレヴュー曲がStar DivineからStar Diamondに変更されていたり、新規シーンの追加もだけど、台詞の再収録(あった…よね?)や、ロロロ版にアレンジされたレヴュー曲。個人的には「星々の絆」の最後の部分、「繋がったよ星の絆 いつまでも守るよ」が華恋からばななに変更になっていたのがすごく気になってたんですよね。
これらの違いは今回の劇場版を観るまでは「映画としてのアレンジ」で終わってたけど、ひかりが転校してきた世界線の再演だった、って考えたら違いが出てきて当たり前なんですよ。アニメでばななだって再演を繰り返す中で少しずつ台詞を変えたりしたって言ってたし。
あともう1つ。ばななはアニメで2年に上がったとき、クラスメイトが2人学校を辞めたことで再演を望むようになるのに、そこがなかったのも気になった。そりゃアニメをすでに履修してたらすでに知ってるからカットされててもばななが再演にこだわってた理由がわかるんだけど、それを知らずにロロロから観たらばななが再演を望む理由って薄くなるんじゃないかな…?ロロロから入った人に会ったことがないのでその辺りは推測だけど。
こういったところからも、ばななはアニメの再演をして、それが前回の「再生産総集編」なのではないかと思いました。
あと最後にばなながひかりに「待ってたよ」と声をかけてたことから、ひかりはばなな側の協力者だったんだろうなと思う。そこから劇場版の最初に繋がるんだろうな、と。
「舞台少女の死」とは
これに関しては特に難しいことはなく概念的な「舞台少女としての自分が死ぬ」ということなんだろうなと思う。劇場版での解釈をするなら、「(舞台少女なのに)次の舞台へ進まない。現状に満足してしまって立ち止まっている」ということなのかな。「舞台は日々進化中」って言葉がアニメであったけど、それなら舞台少女だって舞台に立ち続けるために進化し続けなければいけないわけですよ。
さらに言えば、舞台少女は観客がそれを望むことで舞台に立てているので、進化しない、成長しない舞台少女は観客から望まれなくなる=舞台少女としての死に繋がるのだと思う。
恐らくだけど、九九組の皆はオーディションが終わって第100回の聖生祭を大成功させたことで無意識のうちに満足してしまっていたのかな(たぶんそれはばななも例外ではないだろうけど)。
最初は私もこの辺りがイメージしずらかったのだけど、華恋とひかり以外の皆は(進路をちゃんと考えているところからも)一見すると進んでいるようで、でもオーディションの頃に比べるとガツガツ感というか、がむしゃらさがなくなってたんだろうな。皆がライバルという意識がなくなってたというか。だからこそ「ワイドスクリーンバロック」ではなく「ワイルドスクリーンバロック」なのだろう(wild=野性的)。
言わずもがな華恋はそもそも舞台に立っているようで立っていなかったような人物なので。ずっと本来の自分、本当の愛城華恋ではなく、スタァ(=ひかりとスタァライトを演じること)になるための愛城華恋を演じ続けていたわけだからね。
正直に言うと私ずっと華恋が苦手だったんですよ。だってアニメの頃からだけど綺麗事しか言わないし。もちろん綺麗事が必要なときだってあるのはわかっているけど、世の中綺麗事だけじゃないじゃないですか?舞台で言うならステージ上にスタァ(主役)は1人だけな訳ですよ(W主演があるとかは一旦置いておいて)。なのにずっと「2人でスタァになる」って言い続けて、実際にオーディションの流れを変えてしまって。いるじゃないですか?正論しか言わない人って。それが正しいし間違ったことをしていないのはわかるけど、それだけじゃないだろって思っちゃう(まぁでも華恋は子どもの頃のままって考えるとそれも腑に落ちるよな…)。
話を戻すけど華恋の最終目標はあくまでも「ひかりちゃんとスタァライト(フローラとクレール)を演じる」ことだったので、それが達成されたことで止まってしまった。
ひかりもわかりづらいけど、5歳で華恋とスタァライトを観たときに「一緒にスタァになろう」と言われたことがきっかけで、その約束を守るためだけに舞台を続けていたように見えたから、華恋とスタァライトを演じて次が見えなくなってたんじゃないかな。なんとなく、最初は舞台を続けようとは思ってなかったんじゃないかな。子どもの頃によくある、皆と違うことをしているっていうちょっとませた女の子ってだけだったのが、華恋との約束を守るためだけに舞台少女を続けてきたんだろうな。
トマトは何を表していたのか?キリンの役割は?
これに関しては本当に今でもわからない。だって難しい。
私の中で落ち着いたのは、「トマト=舞台少女としての命」なのかな、と思った。
理由としてはまず、ばななが純那ちゃんのレヴューで自害を迫ったシーン。ばななが振り下ろした刀が純那ちゃんの帽子?の中にあったトマトを潰していたのと、最後の東京タワーで華恋とひかりが対峙するシーンで、トマトが潰れたと同時に華恋が舞台少女の死を迎えたこと。
逆に「私たちはもう舞台の上」であることを理解し、「次の舞台へ進む(今の心地よい環境から飛び出す、卒業する)」ことを決意したらトマトを食べていることからも、そういったことを表しているんじゃないかな…。
でもじゃあなぜトマトじゃないとダメだったんだろう。ここが本当にわからなくて、血と似てるからなのかなぁと思ったり。他の人の考察も読んだけど、皆ここだけやっぱり謎のままなんだよな。
あともう一つ。トマトがキリンから出てきていたところ。
これは他の人が考察してて「あぁ確かに」ってなったんだけど、「キリン=観客」を表しているのではないかという点。
最初の「間に合わない」「私は見逃したのか?」「いや、今始まったのだ」って言っているシーン、「観客は望んでいる。レヴューの続きを(ニュアンス)」という台詞も、実際に観ている観客の状況とマッチしている。
で、キリンから出されるトマトを舞台少女が食べるというところも、
・キリン=観客
・トマト=舞台少女としての命
・「観客が望むのなら、私たちはもう舞台の上」という台詞
の3つから考えれば、
「舞台少女は観客が望むかぎり、命を与えられ舞台に立ち続ける事が出来る」
という解釈になるのかな…、と…。
急に自信なくなってきたけれど、私はそういう風に解釈しました。
キリンも「糧になる」って言ってたし、観客という役割も必要なものなのだろうなと。
まぁ望まれ続けるために進化し続けないとダメだよってことなのかな。
「私たちはもう舞台の上」
これマジで最初全然気がついてなかったんですけど、皆殺しのレヴューで真矢様だけ上掛けを落とされてないんですよね。これ冗談だと思うかもしれないけど、本気で最初気がつかなかったです。
上掛けを落とされた5人と真矢様の違い、それは「列車は必ず次の駅へ。では舞台は?わたしたちは?」というばななの問いの意味を、理解できたかどうか。列車でのレヴューでは他の5人が戸惑ったりオーディションだと勘違いする中、真矢様だけがすぐに「観客がそれを望むのなら、私たちはもう舞台の上」と答えた。クロちゃんでさえ「何言ってんの!?」って言ってたのにね。真に理解できなかったから、あんなに簡単に上掛けを落とされちゃったんだろうな。あそこのばななの無敵感やばいですよね。
てかばななは「皆しゃべりすぎ」って言うけど、お前は圧倒的に言葉が足りねぇよ!と声を大にして言いたい。「なんだか、強いお酒を飲んだみたい」って言われてもそりゃ純那ちゃんは反応できないって…。
この「私たちはもう舞台の上」っていう台詞。今この瞬間も舞台の上、つまり映画を観ている私達観客に望まれた舞台に立っているんだよって意味なのかな、と思ったらすごい鳥肌が立った。
「演じ切っちゃった。レヴュー、スタァライト」
この台詞、2回目まではあんまり気にしてなかったんだけど、3回目で「もしかして…!?」ってなったので書きます。
この「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」というコンテンツ(特にアニメ、ロロロ、劇場版)自体が1つの大きなレヴューであり、「演じ切った」ということは明言こそされてないけれどこの劇場版が「完結」であることを表しているんじゃないかな。
現にタイトルは「”レヴュー”スタァライト」なわけだからね。
ここに関しては監督のインタビューでも「僕もこの先の展開は知らされていないしわからないけれど続けたい」的なことは言っているし、舞台はもちろん続いているわけだから今後どうなるかわからないし、私としては舞台もだけどアニメのスタァライトももう少し終わってほしくないと思ってる。新しいレヴューを開演させてくれ。
まとめ。
総括すると、
「レヴュースタァライトは最高!!!!!」
の一言です。
まだまだ終わってほしくないし、せめてライビュでもいいから九九組のライブを観たいと思ってるので4thライブ期待してます。
またブルーレイが出て買ったら、もっと考察してみようかな。あと売り切れててパンフレットも買えてないんですよ。7月末に届く。ばななのアクスタは買えたけどマジで早く読みたい。
気がついたら6000字を超えてて軽いレポートみたいになりましたが、これで終わりにしたいと思います。